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東京家庭裁判所八王子支部 平成5年(少)2123号 決定

主文

この事件を東京地方検察庁八王子支部検察官に送致する。

理由

一  罪となるべき事実

少年は、平成五年三月一日午前〇時三〇分ころ、東京都調布市布田四丁目一番地調布駅南口広場北側路上において、Bが通行中のC(当時一九歳)、D(当時一九歳)、E(当時一九歳)、F(当時一九歳)及びG(当時一九歳)に対し、「お前ら何見てんだ。じろじろ見てるんじやねえ。」と因縁をつけ、Cの顔面を殴打し、頭部を足蹴りする等の暴行を加えるや、H、I、J、K及びL等と共に暗黙のうちにBと意志相通じ、共謀のうえ、同所及び右広場噴水付近において、こもごも、Cの頭部、背部等を殴打、足蹴り等し、Dの背部を足蹴り等し、Eの頭部等を殴打、足蹴りし、Fの頭部等を殴打、足蹴り等し、Gの頭部を殴打する等の暴行を加え、もつて、数人共同して暴行のうえ、Cに対し、全治3週間を要する見込みの左眼球打撲、外傷性虹彩炎、上眼瞼裂傷、負膜びらんの障害を負わせたものである。

二  法令の適用

刑法六〇条、二〇四条、暴力行為等処罰に関する法律一条

三  本件事件を検察官に送致する理由

(1) 東京高等裁判所の破棄差し戻し決定(以下抗告審決定という)との関係

当裁判所の原決定(以下原決定という)は、少年、H、B、L及びAにつきほぼ送致事実と同旨の非行事実を認定して、前記五名の少年に対し、中等少年院送致の保護処分(H、Lについては、一般短期処遇)を言い渡し、Iは、平成五年六月四日試験観察(補導委託)に、Jは、別件で中等少年院に送致され、本件非行については、同年九月一日不処分(非行なし)となつた。

少年は、平成五年六月下旬頃中等少年院水府学院に収容されたが、付添人の抗告の結果東京高等裁判所は、同年九月一七日本件非行事実を認めるに足る証拠はないとの理由で原決定を取消し、本件を当裁判所に差し戻した。

その後東京地方検察庁八王子支部(以下地検支部という)からHが成人になる平成五年九月二六日までに、新たな証拠資料が送付される見込みもなく、当裁判所で、新たな証人を取調べる時間的余裕も手掛かりもなかつたので、当裁判所は、裁判所法四条に基づき抗告審決定の非行事実に関する認定に従い、Hに対し不処分(非行なし)の決定をした。

ところで、差し戻しを受けた裁判所は抗告審の当該事件についてなした判断に従つて、審判しなければならないが(裁判所法四条)、少年事件の事実審の判断基準時は、差戻後の裁判所の決定時であるから、差戻後捜査機関が新たな証拠資料を送付し、あるいは、差戻後の裁判所があらためて証拠調べをし、同裁判所が抗告審の判断の基礎となつた以外の証拠資料を付加して判断するときは、抗告審の事実認定上の判断に拘束されないものである。この点につき少年審判規則五二条は「抗告裁判所から差戻を受けた事件については、更に審判をしなければならない。」と規定しており、差戻後の裁判所が事実認定のために証拠調をすることを否定していないのである。

本件については、差戻後地検支部から新目撃者の供述調査等を含む約一四六点の証拠資料が送付され、且つ、当裁判所が、一一人の証人尋問をした結果後記のような新事実が判明した。従つて当裁判所は、抗告審決定の「本件については非行事実を認めるに足る証拠はない。」とする判断に拘束されることなく、抗告審の判断の基礎となつた以外の証拠資料を付加して本件非行事実の存否につき判断できるものである。

(2) ところで、抗告審決定が原決定を取消した理由は、大別して次の四点である。

(一)  目撃者Mの「最初にCに対して暴行を加えたとされるBは、自分が至近距離から目撃した犯人とは別人である。」との供述(以下M証言という)は信用できる。

(二)  共犯者とされるIの自白(以下I自白という)は、捜査段階以来重要な点で変遷を重ね、不自然である上、前日の勤務先のタイムカードとも矛盾しており、信用できない。

(三)  B、H及びKの各自白調書は、取調官の意を迎え、その示唆、誘導に従つて供述していたのではないかとの強い疑いがあり信用できない。

(四)  Lに関するE及び司法警察員Nの各識別証言は、信用性がない。

(3) そこで、以下順次前記取消理由につき検討する。

(一)  M証言について

抗告審決定は「本件の目撃者であるMの供述は、信用性が高く、本件犯行が少年らの行為であることに、極めて強い疑いを生じさせるものである。」とするが、次の理由でM証言は、偽証の疑いが極めて強く信用できない。

Mの抗告審における証言、抗告審決定後地検支部から追送されたMの平成五年一〇月一八日付警察官に対する供述調書(以下「Mの一〇・一八警察官調書という、以下他の供述調書の特定も、右の例による。)Oの九・二三警察官調書、九・二五警察官作成の事情聴取捜査報告書、九・二二警察官作成の資料入手報告書、五・一五弁護士伊藤俊克作成Mの供述録取書、八・二五警察官Pの抗告審証言、八・一三、八・二五警察官Qの抗告審証言、一一・四Mの差戻後の当裁判所における証言(以下差戻後証言という)によれば次の事実が認められる。

Mの長男Rの東京都調布市立乙野中学校の同級生の中に、少年等が行動を共にしていた暴走族ルート20に所属していた少年SとTが居り、両名は、Mの住む東京都調布市《番地略》甲野団地に住んでおり、Mは、Tを子供の時から知つていた。又、Mの勤務する乙山交通株式会社(以下乙山交通という)には元ルート20に属していた者がタクシー運転手として勤務しており、自らも暴走族がよく溜まつている本件現場のタクシー乗り場で客待ちをしていることが多かつた。Hの父親Uは、昭和五六年五月から同年八月までの三ヶ月と昭和五八年二月三日から同五九年四月二七日まで乙山交通に勤務しており、昭和四六年五月二日以来同会社に勤務しているMとも旧知の仲であつた。Mは、平成五年四月一九日犯人特定のため調布警察署で四・一五警察官V作成の暴走族ルート20構成員写真台帳(以下写真台帳という)を見せられたが、その際同台帳にある三一番の写真に写つている男(T)は、息子と同級生で同じ団地に住んでいると述べたが、その後に同写真台帳には、犯人の写真はないと言明した。Mは、乙山交通の同僚運転手で本件事件の目撃者の一人であるOと共に乙山交通の上司から「Uの息子がからんだことでUが話を聞きたいといつている。」と言われ、同年七月一〇日午後〇時頃から一時頃まで調布市《番地略》所在のレストラン戊原でOと共にUと会食し、「警察で見せられた顔写真の中に一番乱暴を働いた犯人の写真はなかつた。」旨の話をし、謝礼としてOと共にUから現金一万円を受け取つた。その後、MはOとともに調布市内にあるHの付添人伊藤俊克の調布南法律事務所に行き前記と同趣旨の他、五月三日に調布警察署で被疑者二名の面通しをしたが、二名とも自分が目撃した犯人とは全く違つていた旨供述し、供述録取書を取られた。その後間もなく、Mは、乙山交通の社長を介しUから現金一万円を受け取つた。その後Mは抗告審で証言した。

Mは、調布警察署の平成五年四月一九日参考人取調べの際には、最も激しい暴行を働いた男(以下甲という)の人相風体につき「身長は一八五から一八七センチメートル位、目は一重、髪はくり毛ビートルズのような形、ジャンバーかカーディガンのような白つぽい上着、紺のジーパン、グレイつぽいスニーカー、黒つぽいピアス、色白のかわいい顔。」と供述しているのに、八・一三抗告審証人尋問では、「平成五年一月頃甲を見たが、本件事件当時と同じ白いシャツ、白いカーディガンを着たジーンズ姿で、白つぽい運動靴を履いており、面通をした男(B)のように鼻の下に黒子がなかつた。」と供述し、その後一〇・四調布警察署で警察官がMの供述に基づき甲の似顔絵を作成する際「髪普通で直毛、額に前髪がたれ耳に少しかぶつており、やや栗色、丸顔、眉毛がはつきり、目は一重まぶたで切れ長、鼻は筋が広い、口は小さい、白色シャツ(胸までボタンのある襟つきのもの)白色カーディガン(前をボタンで留めている)、細めのジーパン(履き古した感じ、くるぶし部で裾がだぶついている)、白色紐付きスニーカー(汚れた感じのグレー色)。」と更に詳しくなつており、更に差戻後証言では、「甲が乙山交通の同僚運転手Wと似ていたので、Wの顔が甲の顔に重なつて記憶が不鮮明になつた。」と証言した。そして、差戻後調布警察署で一〇月四日、同月七日、同月一六日と参考人調べを受け、特に一六日に客観的証拠に基づき同人の従前の供述の矛盾を数々突かれた後、同月一八日午前一〇時五分頃同警察署少年係室に電話し、自ら同警察署に出頭する旨申出、同日警察官に対し「私が目撃した犯人のことについて自信はない。」と供述し、更に一〇月二二日地検支部において警察官に対し要旨次のような供述をしている。

「犯人像については、私は、四月の段階で暴走族ルート20のメンバーで私の長男Rの同学年で同じ団地内に住むTの写真があるのを見て少しまずいな、この事件の犯人達とかかわり合いたくないという気持ちになりましたし、Tのことが気になつてたので写真帳の中の人物の写真などは気を留めて見るようなことはせず、ついつい犯人は、この写真帳にはないと言つてしまいました。ところが、その後犯人として逮捕された少年の父親で以前の同僚のUから面会を求められ、息子は犯人ではないと強く言われた上、ステーキを御馳走になつたり、弁護士事務所で伊藤俊克弁護士から警察の調書や捜査がいんちきででつちあげだと言つているように思われる雰囲気の中で話を聞かされた上、二回にわけて合計二万円を貰いました。ルート20のOBが私の勤めている乙山交通に勤めていること、暴走族の連中がなにをやらかすかこわいと思うこと、二一歳の娘と一八歳の息子がいることで、私がこの暴走族ルート20のメンバーのことで不利なことを言えないような気持ちに追い込まれてしまつたのです。

私は、高裁で犯人側弁護士や裁判官からいろいろ質問を受けましたが、伊藤弁護士のところで作られた私の供述録取書の私の本当の記憶や印象などとはいろいろ違う内容に基づいて、心のなかでは、違うと思いながら証言しました。しかし私は高裁の裁判官といえば裁判のためにいろいろ勉強をしてきているし常識もあることだから、私が間違つたことを言つてもそれだけですべてを判断することはないだろうと思つたのです。実際証人尋問が終わつた後に裁判長が私に、大分混乱していますねと言いましたので、私が間違つて言つていることを、つまり結果的には嘘をついていることを見抜いていると思い、私の言つていることをそのとおり信用されることはないとかえつて安心していたのです。ところが、その後この被疑少年達が実質無罪になつたということをマスコミ報道で知つて、私自信驚いてしまいましたし、私の結果的には嘘の話で大変なことになつてしまつたと思つたのです。正直なところ、警察で見せられた写真帳の中で、Bという男が犯人の一人だつた印象がないでもなかつたのですが、そのとおり言えば良かつたものの断定出来ない、つまり違うと言い切つてしまつたのが間違いの発端になつてしまつたのが残念でなりません。Bについてはこの事件の犯人だというのが五、六〇パーセントで、違う感じもするというのが四、五〇パーセントといつた感じです。」

なおMは、差戻後証言で更に前記供述を翻し、「高裁で述べたこと真実であり、一〇月一六日以降警察官や検事に述べたことは、警察官が息子まで警察署に呼び出して事情聴取したこと、一〇月に入つて何回も長時間取り調べを受けたが、自分は一二指腸潰瘍を患い何回も入院していたが、警察官から血便をしながら頑張るのかと言われ、このままでは、自分の健康が持たないと考え、警察官や検事に迎合する供述をした。」旨供述したが、その供述態度は弱々しく、供述内容は矛盾しており、前記認定の諸般の事情と照らし合わせると、到底信用できない。

(二)  Iの自白の信用性

抗告審は、共犯者とされるIの自白は、捜査段階以来重要な点で変遷を重ね、不自然であると認定している。しかし、Iの自白の不自然な点、他の者との供述との不一致、供述自体の変遷は、いずれも些細な点であり、夜間面識のない多数の者達に多数の被害者が襲われたという本件犯行の特殊性及び本件犯行から供述するまでの間の時間的経過からすればやむをえないところもあり、I供述全体としての信用性を害するほどのものではない。却つて、I供述は、捜査段階の四・一九、四・二二、五・一一、五・一五、五・一八の各警察官調書、五・一四検察官調書、六・四当裁判所の審判調書、六・一五当裁判所の証人尋問調書までその大要は一貫しており、具体性もあつて、充分信用できる。また、同人は、平成五年六月四日終局処分を在宅保護とすることを前提とする試験観察(補導委託)になり、捜査官に迎合し、供述を曲げる必要がなくなつてからも従前の供述を維持し、原審審理中及び決定後に被疑少年Aの付添人である行橋弁護士を含む被疑少年等の親達から、Iの母X子に対し、「Iは嘘つきでその供述は信用できない。Iは、今何処にいるか、直接会つて話がしたい。」とか、前記親達から「息子さんは、今回の傷害事件でやつていないのにやつたようなことを言つて、私の息子は、少年院に入つてしまつた。息子さんは入つていないんですね、よかつたでしよう。」等と嫌がらせや圧力をかけるような電話があり、同女が精神的にまいつていることも知りながら前記供述を翻さず、更に、差戻後の証人尋問でも、少年等が在席すると、恐ろしくて証言ができないと述べながら、少年等の退廷後、事件現場にY、Zが居たと重ねて供述している。元ルート20のメンバーであつたA’一〇・八警察官調書によれば、「グループの掟として、警察にしやべると制裁を受けることになつている。」のであるから、Iがその危険をあえて犯し、自白を維持した動機が抗告審決定の言うような「警察の歓心を買つて有利な取扱を受けようと考えた。」とは到底考えられない。

そこで、I自白の信用性で一番問題になる勤務先パチンコ店丙川(以下丙川という)におけるタイムカードの記載とT供述の食い違いについて検討する。

Iの九・二六、一〇・三、B’の一〇・一、C’の一〇・二、一〇・五、一〇・七、D’の九・二八、九・二九、一〇・三、一〇・七、E’の一〇・四、一〇・八、F’の九・二七、一〇・三、G’子の一〇・二、H’の一〇・二、I’の一〇・四、J’の九・二八各警察官調書、一〇・五警察官作成の電話聴取報告書、一〇・四D’作成の「私の反省」と題する書面、九・二七警察官作成の資料入手報告書、一〇・二警察官作成の資料作成報告書、一〇・三警察官作成の裏付資料入手報告書、B’及びG’子及びIの各差戻後証言、を総合すると次の事実が認められる。

丙川には、四階に事務所、集中管理室、従業員のロッカールーム、休憩室等があり、事務所にタイムカードが設置され、サックに従業員全員のタイムカードが入れてある。同店の従業員の出勤時間は月曜日から土曜日までは、早番が午前九時から午後五時、遅番は午後四時から午後〇時までで、日曜日と祭日は、早番が午前九時から午後四時、遅番は午後三時から午後一一時であつた。本件事件の前日である二月二八日(日曜日)のIのタイムカードの打刻は出勤が一五・二七、退出が二三・〇二となつており、遅番の勤務帯になつている。ところが、Iは、四・一九警察官調書から九・三一の抗告審証言まで一貫して、自分は、同日早番であつた旨供述し、タイムカードに前記のような打刻がされている理由を聞かれても返答ができなかつた。そして、Iは、四・一九警察官調書において当日勤務先を退出した後本件犯行までのことにつき「午後五時三〇分頃自宅に帰つていたらJが原付に乗つて遊びにきた。その原付に乗り、いろいろ乗り回してから、七時頃南口噴水広場に着いた。他のメンバーは居なかつた。その内仲間が集まつて来て自分は、J、Aと話していた。午前〇・三〇分頃三人が座つているベンチの前を四、五人の男が歩き、駅に通じる横断歩道のところまで行つたとき、便所のあたりに溜まつていたBとHがいきなり走りだし、後ろを追いかけていつた。」と供述しており、抗告審決定にあるとおり、もしタイムカードの記載が正確であれば、Iの「早番である」との供述は嘘になり、早番であることを前提にする前記供述もすべて嘘となつて、ひいてはI自白の信用性が疑われることになる。

しかしながら、前記各証拠によれば次の事実が認められる。

即ち、丙川では、本件で平成五年六月頃タイムカードの打刻が問題になる前は、タイムカードの打刻はかなりいい加減で、打ち忘れた時刻を後で、事務関係者が記入したり、出勤した時同僚のタイムカードに打刻されていない時は、自分のタイムカードの打刻と一緒に打刻してやつたり、退出時は、一斉に打刻しようとして混雑するので、一人の従業員が出勤者のタイムカードを一括して打刻することもあり、タイムカードに打刻された時間は、現実の出勤・退出時間を反映していないことがあつた。二月二七日閉店後は、平成四年一一月三〇日から同五年七月二八日まで同店に遅番専門でアルバイト勤務をしていたB’の送別会が近くのカラオケボックススタジオ丁原で行われ、同人、丙川の従業員H’、D’、K’、I、G’子が出席し、途中から店長のE’が参加し、午前二時過頃まで、カラオケを楽しみ、その後、IとB’がG’子をタクシーで府中市片岡町のG’子の自宅近くまで送り、その後、IとB’は、京王線つつじヶ丘にある自宅近くまでタクシーで帰り、Iは、その後自宅に帰つて眠つたが、翌朝少年野球に行く弟の物音で目を覚まし、公休日であるのに早番と間違えて食事もせず、丙川に午前八時頃出勤したが、休憩室の壁に張つてあるシフト表(勤務割表)を見て同日が公休日に指定されていることを知り、タイムカードも打刻せず、しばらく同所で待機していたところ、同日午前八時三〇分頃出勤してきた副主任F’から「せつかく出てきたんだから日当も出るし仕事をやつていけよ」と言われたので、そのまま早番勤務することにした。

Iは、同日午後五時頃退出したが、タイムカードには打刻しなかつた。Iのタイムカードに打刻のないことを発見した遅番のD’が、Iのタイムカードの出勤欄に一五・二七と自分のタイムカードの出勤欄に一五・二八と打刻した。同日のI及びD’のタイムカードの退出欄にはいずれも二三・〇二と打刻されており、その打刻もD’がしたものと推認される。

以上の認定事実によると、Iは、その供述どおり、二月二八日には、早番であり、同日午後五時頃自宅に帰つたことになるので、Iの供述は、抗告審決定にあるような虚偽の供述ではない。(なお、H’の付添人である伊藤俊克弁護士に対しIの前記タイムカードを提供した、丙川の店長E’と当裁判所において、Iが自分と一緒に遅番を遅刻したと虚偽の証言をした同店店長D’は、Hの保護者から各一万円の交付を受けた)。

(三)  K、H及びBの各自白調書の信用性

Bは、当裁判所の審判において、捜査段階において本件犯行を認める供述をしたのは、「担当取調官に、みんな認めている、忘れているだけだと言われ、違うと言つても信じて貰えなかつた。また、侮辱されたり、脅かされるようなことも言われた。」旨弁解している。Hは、「担当取調官に繰り返し執拗に質問されるうち、嫌気がさし、認めれば帰してもらえると思い自白した、供述内容は、取調官から押しつけられるままに迎合して供述した。」旨弁解し、Kは、「警察において脅される様な形で長時間取り調べを受けたうえ、共犯者も認めていると言われているので、自白してしまつた。」旨弁解している。

しかし、少年及びLは、捜査段階から前記犯罪事実を否認しており、B、H及びK(以下B他二名という)の捜査段階における供述は、被害者、目撃者、相共犯者等の供述と微妙に食い違う点も多い一方で、B他二名は、記憶にない点はよくわからない旨供述している、特にBは、五月三日の逮捕当日警察官に対し本件犯行の発端につき、三月二日に取調済の被害者E、D、F、Gの四人が全く言つていない状況、即ち、「戊田が午前〇時頃閉店後H、Kらと南口の方向へふらふら歩いていたら、反対方向から三、四人の若い男が歩いてきた。その中の一人がガンをつけたような気がしたので『何みてんだよ。』と因縁をつけ、喧嘩をふつかけた。」旨供述しているが、もし、抗告審決定にあるようにその自白調書が取調官の示唆、誘導に基づくものであるならば、このような供述はせず、前記被害者らがすでに供述しているように「被害者らの後方から追いかけて行き、いきなり殴つた。」と供述するはずであり、前記のように被害者の供述と食い違いがあるということは、Bが任意に供述したことの裏付けになる。また、Kは、五・八警察官調書において「当夜広場の噴水脇ベンチにJ、A他二、三人が集まつたり、その他木のあるところに三、四人いた。私は、彼女のL’子に電話しにいつたが、通じず、立小便をしていたら、出入口付近の道路で揉めている様子だつたので、行つてみると、Bが一人の相手を殴つたり、蹴つたりしていた。」旨供述して、差戻後供述でも、L’子に電話しに行つたこと、立小便をしたということを取調官に供述したことを認めているが、前記の様な状況は、取調官が示唆、誘導できる事柄ではない。これらの点に照らせば、B他二名は、捜査段階において自己の意思と記憶に基づき供述していたことが認められ、同人らの捜査段階における供述は、他の関係者の供述との食い違いが認められる点もあるが、一方本件犯行現場に居たと認められるXの警察官、検察官に対する供述(一〇・一九、一〇・二一警察官調書、一〇・二五検察官調書)、M’の九・二四警察官調書の供述内容にも符合し、信用性がある。

(なお、Yは、差戻後の証拠調べにおいて、前記供述調書は、「取調官から押しつけられるまま迎合して供述したもので、虚偽の供述であり、自分は、本件犯行現場にいなかつた。」旨供述しているが、その供述は、証人調べの連絡を受けた同人が在院中の小田原少年院の教官に述べた「被疑少年らが証人調べに立会うのであれば証言しない。」旨の供述並びに証拠調べ中始終被疑少年らを見ていた同人の挙動に照らし、証人尋問に立ち会つた被疑少年らに圧迫されて、嘘の供述をしたと認められるので、信用できない。

(四)  A’に関するE及び警察官N’の各識別証言の信用性

Eの四・一八警察官調書によれば、Eは、他の被害者らが一一〇番をするために現場から去つた後も、犯人らにより広場に連行されたCの身を案じて現場に残り、警察官が広場に到着した後間もなく、その場にいた一人の男(以下乙という)の腕を掴んで、警察官N’に対し「犯人はこの人です。」と言つて申告したものの、乙から逆に「ふざけんな。おれたちじやねえだろう。」とすごまれて、結局、土下座までさせられたという経過があるから、Eは、乙の人相等をかなり正確に記憶した可能性がある。Eは、四月一八日の警察官取調べの際、自分が申告した乙の特徴について、「一八、九歳、髪茶色、緑色MAIのジャンバーを着用していた。」と供述したが、五月一九日の取調べで、警察官から、少年、H、K、J、B、I及びLの七名の顔写真を綴つた「被疑者写真台帳」を示された際には、Lの写真について「現場に居たような気がする。」という供述をするに留まり、これがジャンバー着用の乙であると識別することができなかつた。ところが、Eは、その後、Lが当時着用していたジャンバー(N2Bで、白いフードがついている点を除き、MAIの色、型が同一)の写真を示されるや、「自分が警察官に申告した男のジャンバーと色、型が同じである。」旨述べ、更にそのジャンバーを着たLの写真を見せられると、「自分が警察官に突き出した乙は、この人であると思い出した。」と供述するにいたつた。そのため、抗告審決定は、Eは、写真に写つたLの容貌から記憶を喚起したというより、犯人とよく似たジャンバーを着た姿に強い印象を受け、これに影響されて、同一人と思い込んだ疑いがあると判断した。

しかしながら、Eの九月二二日警察官調書及び差戻後証言に寄れば、Eは、五月二二日調布警察署でマジックミラー越しにLの面通しをしたが、その際、見られていると感じたLが、マジックミラーに向かつて自分のお尻を突き出し叩いてみたり、手をヒラヒラさせながら俺じやないよと言つたが、最初にマジックミラー越しに向かい合つて立つたとき、LとEの目線の位置が事件当時噴水のところでEが腕を掴んだ乙と同じだつたことから、Lがその乙に間違いないと判断したのであり、ジャンバーに影響されてLを乙と判断したのではないことが認められ、Eの犯人識別証言は、信用性がある。

また、N’は、五月二〇日の警察官調書において、「Eが突き出した男は、年令一八から一九歳位、身長一六五乃至一七〇センチメートル、体格普通モスグリーン系フード付ジャンバーを着ていた。Lとは、目と眉毛のあたりがよく似ている。」旨具体的な供述をしており、識別までに二ヶ月余経ており、且つ、犯人とごく短時間接触したに過ぎないとしても、その職業を考えると、いちがいにその供述に信用性がないとはいえない。

(五)  被害者Fの識別証言

Fの一〇・二警察官調書、O’の一〇・一六警察官調書、Eの一一・七警察官調書及び差戻後証言によると次の事実が認められる。

F、E及びO’はいずれも元甲田高校の同級生、H、K、L及びO’はいずれも元調布市立乙野中学校(以下乙野中という)の同級生であつた。平成四年三月頃O’が在籍した乙野中三年B組卒業のクラスメートが中心となつて、京王線調布駅北口近くにある居酒屋「丙山」でクラス会が行われ、その後同駅南口近くのカラオケボックス丁川で二次会があつた後、午後一〇時から一一時頃、同カラオケボックスと道路を隔てて反対側の路上に、乙野中三年B組のクラスメートと他のクラスの者も含めて一五、六人(以下乙野中グループという)が集まり、別れを惜しんでいる時、レストランロイヤルホストで食事をした後同カラオケボックスで遊び、その前路上にいた甲田高校の同級生で仲良しグループのF、Q’及びE(以下甲田高校生グループという)がO’の姿を認め、Eが「オーイO’(O’の甲田高校時代の愛称はO’である)」と呼びながら手を振つたところ、乙野中グループの中からH、L及びR’の三名が甲田高校生グループの方に走つてきて、「お前らどこの奴らだ。O’ちやんに何か文句あるのか。」などと言い、殴るような構えをしたので、それを認めたO’が、走つて来て僕の友達だと説明したので、その場は収まつた。その後でFがO’に対しHらを指し何者だと聞いたところ、O’は、乙野中出身者でクラス会の仲間だと説明した。本件事件後FがEに対し、犯人グループの中に昨年春会つた乙野中出身者が居たと知らせてきたので、Eは五月初め頃O’に電話した際「Cをやつたのは、昨年春カラオケボックス丁川の前で会つた乙野中グループのやつだ。」と話した。Fは、一〇・二警察官調書で、「写真台帳(前記被疑者写真台帳)の写真二の男(Hの写真)が現場にいたと思われる。この男は約一年前友達の乙野中のクラスメートということで一度会つた男である。」と供述しており、FのHに対する識別証言は、前記の認定に照らして信用性がある。

(3) 罪となるべき事実の認定について

記録中の関係証拠、取り分け、少年が本件の実行犯の一人であることについては、Iの証言、同人の審判調書及び同人の五・一四日検察官調書、Yの一〇・一九、一〇・二一各警察官調書、同人の一〇・二五検察官調書により認められる。

4 結論

本件は、夜間全く面識のなかつた通行人にさしたる理由もなく因縁をつけたうえ、集団で暴行におよび、被害者の一人に三週間を要する見込みの傷害を負わせたという事案であつて、大変悪質であり、取り分け、少年は、本件非行を捜査段階から否認し、反省の態度は見られないこと、少年には、道路交通法違反で不処分、毒物及び劇物取締法違反で不処分、凶器準備集合罪で不開始とされた各前歴があり、保護処分を受けたことがなく、職業生活においては、解体業や建設業の作業員として働き、その間特段の怠業期間もなく、稼働意欲は強いこと、中学卒業後、一時暴走族として活動しており、一八歳になつて引退したものの、なお、暴走族仲間の集会に参加していること、少年が否認しているため、少年の本件に対する関与の程度の詳細は不明であるが、関係証拠からすれば、いずれにせよ追従的に本件に関与したものであること、原決定により前記のとおり約三ヶ月中等少年院に収容され、矯正教育を受けていることなど諸般の事情を考慮すると、この際刑事処分を受けることが少年の人格、社会性の健全な発達をはかる上で必要であると考える。

よつて、少年法二三条一項、二〇条により主文のとおり判決する。

(裁判官 元吉麗子)

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